もう一つは、自分の中で成熟していく女性的なものに対する嫌悪と恐れです。これは、母親に対する反感と、男性の所有物になってしまうことに対する恐れに基づいています。要するに、男性に性的に征服されることを恐れているわけです。だからこそ、自分が性的な存在であることを隠そうとし、性的なものをイメージさせるものを見せられたときにはそれから目をそむけようとするわけです。ところが、結婚して子供を何人も生んだりすると、自分を性的な存在であることを主張する意味は薄れてきます。ただ、男女間の風俗はだんだん開放的になってきており、開放的でない社会に育った人たちは、そういう風潮を非難したくなるところがあるものです。それを風刺的に描いているのが「オバタリアン」の漫画なのです。とくに、最近のオバタリアンは、専業主婦になって社会に出ないですむわけですから、社会的な訓練を受けていません。家庭から一歩外へ出たときのモラルというのはないわけです。出会いはここ→に、たくさんあるので、相性が合う人がきっと見つかります。ところが、その彼女たちが外へ出るようになりました。習いごと、同窓会をはじめ、パートに出ている人もいます。パートといっても、マニュアルのあるファーストフード店にでも勤めないかぎりは、そうした意味での訓練は受けません。そのため、好き勝手に行動することができるわけです。オバタリアンほどではなくても、今日のある年代以下の女性の場合、誰かに叱られるということをまったく経験せずに育っています。

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